父が亡くなり、私が喪主として葬儀を執り行うことになった時、深い悲しみと同時に、経験したことのないほどの重圧が私の肩にのしかかりました。その重圧の正体は、紛れもなく「費用」に関する悩みでした。葬儀社の担当者の方が広げたカタログには、松竹梅とランク分けされた祭壇や棺が並び、その価格差は歴然としていました。私の心の中では、二つの声が激しくぶつかり合っていました。「父のために、できるだけ立派なものを選んであげたい。ケチだなんて思われたくない」という見栄と、「いや、父はそんなことを望んでいない。残された母のこれからの生活を考えなければ」という現実的な声です。特に、親戚たちの目が気になりました。質素なプランを選んだら、「あそこの家は大変なのかしら」と噂されるのではないか。そんな世間体との戦いが、悲しむべき私の心をじわじわと蝕んでいきました。もう一つ、私を完全に途方に暮れさせたのが「お布施」という謎の存在でした。担当の方に「お布施は、おいくらくらい包むのが相場でしょうか」と尋ねても、「それはお気持ちですので」という、答えになっているようでなっていない回答が返ってくるだけ。インターネットで検索すればするほど、金額の幅は広く、何が正解なのか全く分かりませんでした。父を亡くした悲しみよりも、この「決められない」という苦しみが、私を精神的に追い詰めていきました。最終的に、私は見栄を捨てる決心をしました。葬儀社の担当の方に正直に予算を伝え、父の人柄を話し、「父らしい、温かいお見送りにしたいんです」と相談しました。すると、担当の方は、豪華な祭壇ではなく、父が好きだった山の風景を再現したような花祭壇を提案してくれました。費用も予算内に収まりました。結果的に、その小さくも温かい葬儀は、親戚からも「お父さんらしいね」と好評でした。この経験を通して、私は学びました。葬儀の価値は値段ではない。大切なのは、故人を想う心と、残された家族が納得して決断することなのだと。