私が初めてブラックパールというものを意識したのは、祖母の葬儀の日の朝でした。喪服に着替え、茫然自失としていた私に、母が小さな桐の箱をそっと差し出しました。中に入っていたのは、しっとりとした深い緑色の光を放つ、一連の黒蝶真珠のネックレスでした。「これを着けていきなさい。おばあちゃんも、きっと喜ぶから」。その時の私は、黒い真珠が持つ、どこか冷たくて重々しい雰囲気に少しだけ戸惑いを覚えました。こんなに立派なものを、私が身につけても良いのだろうか。悲しみの席で、アクセサリーを着けること自体に、どこか罪悪感のようなものを感じていたのかもしれません。母は、そんな私の心を見透かしたように、静かに語り始めました。そのネックレスは、母が私の祖母、つまり自分の母を亡くした時に、祖母の宝石箱から譲り受けたものだということ。そして、そのネックレスは元々、祖母が、さらにその母である曾祖母から受け継いだものであるということ。つまり、その一粒一粒には、我が家の女性たちが、大切な家族を失った時の悲しみと、故人への感謝の涙が、幾重にも染み込んでいるのだと。母の言葉を聞きながら、私は恐る恐るそのネックレスを首にかけました。ひんやりとしたパールの感触が、私の肌に伝わります。それは、不思議な感覚でした。ただの装飾品ではない、何か重みのある、それでいて温かいものが、私の心をそっと支えてくれるような気がしたのです。会場で、同じようにパールを身につけた親戚の女性たちの姿を見た時、私はその意味を理解しました。パールを身につけることは、おしゃれのためではない。それは、故人を悼む心を同じくする者同士の、静かな連帯の証であり、世代を超えて受け継がれる「弔いの心」のバトンなのだと。あの日以来、あのブラックパールは、私にとって単なるジュエリーではなく、家族の歴史そのものになりました。いつか、私もこのネックレスを、娘に手渡す日が来るのでしょう。その時、私は母がしてくれたように、この黒い涙の粒に込められた、愛と悲しみの物語を、静かに語り継いでいきたいと思っています。