私が夕方の通夜で感じた人の温かさ
父が亡くなったのは、月曜日の朝でした。慌ただしく葬儀の準備が進められ、お通夜は翌日の火曜日の夕方からと決まりました。私は喪主として、悲しむ暇もなく、ただただ目の前のやるべきことに追われていました。夕方六時、お通夜が始まる時間が近づくにつれ、私の心は不安でいっぱいになりました。「平日の夕方、こんなに急な話で、いったい何人の人が父のために来てくれるのだろうか」。父は決して派手な人間ではありませんでした。静かで、真面目で、ただ黙々と家族のために働いてくれた人。そんな父の人生の終わりに、寂しい思いだけはさせたくない。その一心でした。しかし、私の心配は杞憂に終わりました。六時を過ぎた頃から、斎場の入り口には、次から次へと弔問客の列ができ始めたのです。父の会社の元同僚の方々、趣味の釣り仲間、私が子供の頃にお世話になった近所のご夫婦。皆、仕事が終わった後、疲れているにもかかわらず、父の顔を見るために駆けつけてくれたのです。焼香を終えた父の旧友が、私の前に進み出て、涙ながらに「いい親父さんだったな。お前は幸せ者だぞ」と、私の肩を力強く叩いてくれました。その瞬間、堪えていた涙が溢れ出しました。夕方の薄暗い光の中に、人の温かさだけが、まるでろうそくの炎のように、はっきりと見えました。夕方という時間帯は、ただ便利なだけではありません。それは、日中の喧騒が終わり、人々がそれぞれの日常から、故人を想うという一つの心を持って集まってくる、特別な時間なのだと、私はあの時、身をもって知りました。父の人生が、決して孤独ではなかったこと。それを証明してくれた、忘れられない夕暮れでした。その温かい光景は、深い悲しみの中にあった私と家族の心を、確かに照らしてくれました。