「友引に葬儀をしてはいけない」という話は、多くの人が一度は耳にしたことがあるでしょう。その理由を「縁起が悪いから」と漠然と理解しているかもしれませんが、現代において友引に葬儀ができないのには、もっと現実的で物理的な理由が存在します。それは「ほとんどの火葬場が休みだから」です。葬儀という儀式は、通夜や告別式といった宗教的なセレモニーと、ご遺体を荼毘に付す「火葬」という物理的なプロセスが一体となって完結します。このうち、告別式だけを友引に行うことは、葬儀会館のスケジュールさえ空いていれば可能です。しかし、その日のうちに火葬ができないとなると、ご遺体を一度安置施設に戻し、翌日以降に改めて火葬のみを行う、という非常に煩雑な流れになってしまいます。では、なぜ火葬場は友引に休むのでしょうか。それは、長年にわたって「友引の葬儀は縁起が悪い」と考える利用者が大多数であったため、需要がない日に職員を休ませる、という経営的な判断が定着したからです。つまり、「迷信があるから火葬場が休む」のか、「火葬場が休むから迷信が守られ続ける」のか、鶏が先か卵が先かのような関係になっているのです。近年では、合理的な考え方から「友引でも葬儀をしたい」というニーズも少数ながら存在し、一部の民営火葬場では友引でも稼働しているところもあります。しかし、全国的に見れば、公営火葬場の多くが今もなお友引を定休日としており、これが友引に葬儀ができない最大の、そして最も現実的な理由となっています。この火葬場の休業という物理的な制約が、友引の迷信を社会的なルールとして強力に補強し続けているのです。