私たちは、いつの間にか「高価なもの=良いもの」「安いもの=粗末なもの」という価値観に縛られてしまっているのかもしれません。それは、葬儀という儀式においても、無意識のうちに私たちの判断を左右しています。「できるだけ安い葬儀で済ませたい」という気持ちの裏側で、「でも、あまり安すぎると故人に申し訳ない、世間体が悪い」という罪悪感や不安を感じてしまう。そんなジレンマに陥るご遺族は少なくありません。しかし、少し立ち止まって考えてみてください。葬儀の本当の価値とは、一体何によって決まるのでしょうか。それは、祭壇の豪華さや、参列者の数の多さなのでしょうか。私は、決してそうではないと思います。葬儀の最も大切な本質は、遺された人々が、故人の死と静かに向き合い、その人生を偲び、感謝を伝え、そして自分たちの心に一つの区切りをつけて、明日へと歩み出すための、かけがえのない「時間」と「空間」にあるはずです。たとえ、参列者が家族数人だけの直葬であっても、火葬炉の前で、一人ひとりが故人との思い出を胸に浮かべ、心からの「ありがとう」を伝えることができたなら、それはどんなに立派な葬儀よりも価値のある、尊いお別れの儀式です。逆に、どれだけ多くの費用をかけ、大勢の弔問客が訪れたとしても、遺族が義理の挨拶に追われ、故人を偲ぶ余裕すらなかったとしたら、それは果たして良い葬儀と言えるでしょうか。葬儀の価値は、値段という物差しでは測れません。大切なのは、費用をかけたかどうかではなく、心を込めたかどうか。その一点に尽きるのです。安い葬儀を選ぶことは、決して故人を軽んじることではありません。それは、見栄や形式から解放され、弔いの本質に立ち返るための、賢明で誠実な選択なのです。故人が本当に望んでいるのは、高価な祭壇ではなく、遺された家族が、その人らしく、心穏やかに自分を送り出してくれることではないでしょうか。
葬儀の価値は値段で決まらない