最近のニュースで「デジタル終活」という言葉を目にしない日はありませんが、これはスマートフォンやパソコンの中に残された膨大な個人情報、いわゆる「デジタル遺品」を死後どのように取り扱うかという現代特有の問題にスポットライトを当てたものであり、誰もが当事者になり得る身近な脅威として関心が高まっています。報道によれば、故人のスマートフォンのロックが開かないために、友人への連絡先が分からず訃報を伝えられなかったり、ネット銀行や証券会社の口座の存在に遺族が気づかず、資産が宙に浮いたままになったり、あるいは有料のサブスクリプションサービスの解約ができずに死後も会費が引き落とされ続けたりといったトラブルが後を絶たないといいます。さらに深刻なのは、故人が家族に見られたくない写真やメッセージ、秘密の趣味のデータなどが、死後に遺族の目に触れてしまい、故人の名誉が傷ついたり、遺族が精神的なショックを受けて家族関係の思い出が汚されてしまったりするケースであり、デジタルデータは物理的な遺品と違ってパスワード一つで全てが露見してしまう脆さを孕んでいます。ニュース番組では、生前にIDやパスワードを管理する「エンディングノート」の活用を推奨したり、死後一定期間操作がないと自動的にデータを削除するサービスの利用を紹介したりしていますが、テクノロジーの進化のスピードに法整備や人々の意識が追いついていないのが実情です。また、SNSのアカウントが死後も残り続け、そこに追悼コメントが書き込まれる「デジタル墓場」化する現象や、故人のSNSアカウントが乗っ取られて詐欺に悪用されるという悪質な犯罪もニュースになっており、デジタル空間における死者の存在をどう定義し、どう守るかという倫理的な議論も活発化しています。私たちは便利なデジタル機器に生活の多くを依存していますが、その便利さが死後には遺族を苦しめる凶器になり得ることを認識し、自分が元気なうちから「見せるデータ」と「墓場まで持っていくデータ」を整理し、万が一の際のアクセス権限について家族と話し合っておくことこそが、現代人における必須の終活マナーとなっているのです。